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経験者の体験談:改善から復帰、克服のきっかけと再登校

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今不登校の子供を持つ両親、そして本人はどう不登校を解決したらいいのかわからず途方に暮れていると思います。私も中学時代に不登校を経験し、高校でも思うように馴染めず中退という道を進みました。

不登校からの復帰、克服、改善の方法は一つではありません。不登校にはその人数分だけ原因と背景がありますから、必然的に解決方法にもその人数分だけあると言えます。

どれだけ参考になるかはわかりませんが、経験者である私の体験談と改善から克服までの流れを紹介したいと思います。一つのモデルケースに過ぎませんが、おそらく一つでも多くの事例を参考にしたいという人も多いでしょうから、思い切って赤裸々に語ってみたいと思います。

 

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不登校経験者の克服体験談…改善~きっかけ、克服までの流れ

まず私が経験した不登校体験を時系列で紹介します。詳細はそれぞれ後に述べています。

 

  • 公立の中学校で1年生の11月に不登校になる
  • 中学2年生は丸1年不登校
  • 中学3年生への進級と同時に学校復帰
  • 3年生は遅刻・欠席が入り混じる五月雨登校
  • 私立高校へ合格し中学卒業

 

途中色々な経験がありましたが、おおまかに紹介するとこのような流れになります。文部科学省の不登校の定義に照らし合わせると、厳密に言えば中学3年生も不登校だったことになります。

ただ、丸丸1年間学校に行けなかった前年度に比べると学校行事にも参加し教室で授業を受けていました。完全解決とまではいきませんでしたが、「一応」出来るところまではやれたという感じです。(普通に学校に行っている子に比べれば甘えと言われそうですが)

 

不登校になったきっかけは「理由がない・わからない・原因不明の正体【経験談】」などで詳しく述べていますので、気になる方はこちらを参照してください。簡単に言うと、特別大きな理由はなく、中学生の日常生活の中で知らず知らずのうちに消耗し、気付いたら精魂尽き果ててエネルギー切れ→不登校になりました。

当時はあまりメジャーではありませんでしたが、「起立性調節障害」の診断を受けていましたから、今思うとそれが悪影響を及ぼしていたのもあるでしょう。

 

不登校中の改善と変化の兆しは「ありあまる時間と持て余す暇」

 

自分から学校に行かないという選択をしておきながら、なんと薄情で自分勝手なんでしょうか。そう、学校に行かないと時間が有り余ります。本当に暇でした。もう、暇で暇でしょうがないのです。

でも、学校を休み始めて学期変りの2年制への進級のタイミングを逃してしまい、今更学校にどんな顔して戻ればいいのかもわからず途方に暮れていました。

 

そうなると、暇を持て余し、何をしたらいいのかもわからず、時間だけが無為に過ぎていきます。外出すると誰かに会うかもしれないし、誰かと遊ぶということも出来ませんでした。この有り余る時間と持て余す暇に絶望して、なんとかしないとヤバイという焦燥感だけが募り始めました。

 

全く考えられなかったフリースクールや適応指導教室などの外部支援

 

私は今不登校関連の書籍を読んでみて思うことは、驚くほど外部の不登校支援が充実しているということです。当時もそういった話は聞いていましたし、行ってみてはどうか?と親にも何度か薦められましたが、断固拒否していました。

そのときの私の胸中は「自分は不測の事態で不登校になってしまったが、いずれ必ず学校に戻る。こういった支援先に頼ってしまうと、解決の見込みが無い不登校生であることを認めてしまい、その状況を受け入れざるを得なくなる」というものでした。つまり、自力で必ず解決するから、そんな支援先に行く必要はないという理屈です。

単なる屁理屈に過ぎませんが、当時の私は本当に自力で解決するという意思がありましたし、断固拒否した以上なんとしてでもタイミングを見計らって学校に戻ならければならないという状況に自ら追い込みました。

 

ちなみに、中学3年生に上がるタイミングで宣言通り学校に戻りました。しかし、それまでの背景もあって1年間毎日朝から登校という理想には程遠く、中学3年時でも定義上不登校のままでした。なので正確には、不登校が本当の意味で解決したかどうかはわかりませんw

 

ただ、このような自力解決の意思がある不登校生は少数派だと思います。色んなケースや事例を書籍を参考に見ていきましたが、こういうケースは私以外ありませんでした。もしこのような、自力での解決を本人が望んでいるのであれば外部支援は必要ないかもしれませんが、その見込みも意思も本人にないのであれば、外部支援は選択肢に入れるべきでしょう。

 

 

変化を起こしたいという意思を汲み取ってくれた両親は留学を薦めてくれた

 

なんと器の大きい両親でしょうか。暇を持て余していた私は日本が駄目なら海外だ!と屁理屈を捏ねていた私。日本で駄目なら海外で暮らすなどと途方も無いことを言い出してしまいますが、これを変化の兆しを両親はみたのでしょうか。私に2週間のオーストラリア留学を薦めてくれました。

 

何度か説明会に行ってみるうちに、やる気になる時もあれば足がすくんでいまう気持ちにもなり、結局どうしていいかわからなくなりました。しかし、思い切って行くと言って代金の振込も済ませてから、いよいよビビリはじめました。

しかし、もう逃げられません。もう、ドタキャンしてやろうかと本気で直前まで思っていましたが、それはさすがに親に対して酷すぎるという葛藤のまま時が過ぎていき、言われるがまま身を任せ当日は空港に向かいました。

 

狭い世界で悩み、広い世界が広がっていることを知る

 

もうやる気とか行く気とか理屈は抜きにして、(自分で言い出したにも関わらず)流れに身を任せたまま一人で日本を発ちました。中学2年の夏です。

私が申し込んだのは全国各地の中学生が留学に訪れるツアーのようなもので、各自現地の家庭にホームステイをする内容でした。私は一人での単独参加でしたが、他は同じ中学からの参加者がおり、数グループに既に分かれていました。

しかし、現地に行ってしまえば同じ中学生の日本人。すぐに打ち解けました。私がホームステイをしていたのは田舎の牧場主の家庭で、目の前に広がる日本にはない大自然の夕日と大草原に心底・心底・心底感動しました。

 

自分が学校に行って授業を受けて部活に精を出して、不登校でクヨクヨ悩んでいる間に、自分の知らないこんな所で広がっている。自分の知らなかった地球の南にあるこの場所で生活を営み、日本と同じように”時間が流れている世界”が存在していることに衝撃を受けました。「世界はなんて広いのか…自分はなんて狭い世界で生きていたのか!」と気づけたことが大きな収穫でした。

この留学は「本当に楽しかった」の一言で、かけがえのない経験になりました。英語は全く話せませんでしたが、なんとかなりました。そこで知り合った友人たちとは20年以上の時が経過した今でも繋がっています。

2週間という超短期間とは言え、中学2年で単身海外に行ってきた勇気は学校復帰に必要な度胸と比べれば大したことないと思えたのも大きかったです。あとは戻りやすいキリの良いタイミングだけ見極めれば学校に戻れるという確信に変わりました。

 

不登校から学校復帰へのタイミングは3年への進級時

 

留学に行ったのが夏。学校に復帰したのが翌年4月です。それまでの半年以上の間は近所にある個人塾に通ったり、学校行事にこっそり観覧者の中に紛れ込んで参加したり、学校側も色々と協力してくれました。

夏の間だけそれまで所属していた部活にも参加しました。あとは保健室でテストを受けたこともあります。また、留学時に知り合った遠くに住む友人に会いに行くため、一人で新幹線を乗り継いで行ったり。

すぐに学校に戻るという選択肢もあったのですが、どうしてもキリの良い節目になる進級時とクラス替えのタイミングだけは譲れませんでした。やはり自分だけがいきなり異物として入り込むよりは、クラス替えで周囲も人間関係がフラットに近い状態の方が入りやすいし、周囲の目も緩和されやすいからです。

 

留学~学校復帰までの間でも苦しいことや悩むことは山ほどありましたが、あとは時がくるのを待つだけという気分もありましたし、あとはどう行動を起こして成功させるかを考えることのほうが多かったです。いじめや人間関係が原因ではなかったので、これらの背景がある人に比べれば学校への恐怖心が比較的少なかったと思います。

 

4月の始業式のことはほとんど覚えていない

 

何度思い返してみても、その日どうやって学校に行って、どう教室に入って周囲とどう関わったのか、ほとんど覚えていません。だた、人懐っこい奴が何人かいてその日だけでなくその後も積極的に話しかけてくれたのが救いでした。

周囲もさほど自分のことを気にしていなかったし、仲の良い友人も何人かいて居場所が全くないという問題にも直面せずに済みました。何度か述べている通り、学校復帰してからも定義上は不登校のままですが、前年度と比較すれば大きな変化が合ったことも事実です。

親も本人もそれに甘んじてはいけませんが、その変化を評価しないのはもっといけません。自信を持っていいところは図々しく持つぐらいがいいでしょう。

 

不登校解決までを振り返ると感じられる5段階

 

不登校には解決までに5段階あるという説があります。これは「不登校でも子は育つ」という書籍で見た内容なのですが、私はこれを綺麗に推移しています。また、不登校に間にも子供は成長しているという点は物凄く納得できます。

5段階の詳細 →【経験談】中学生に対する親の対応と接し方【完全版】

 

その時々で両親は私に援助の手を差し伸べてくれ、私はそれに甘える形で行動に移し、変化の一途を辿ったことになります。モデルケースとしては珍しいケースかもしれませんが、最初に述べた通り、不登校には人数分だけの原因と背景、そして解決までの道筋があります。

 

不登校の解決事例をいくら見ても本質が見えなければ無意味

 

どれだけ私の経験が参考になったかはわかりません。「あなたは特別で、一般の人はこうは上手くいかない」と文句を言われるかもしれません。留学なんてお金がかかることはウチには出来ないと言われればそれまでですし、それはそれで仕方ありません。

全然参考にならなかったと言われれば、「すいませんでした」としか私は言えません。

ただ、留学でない全く別の方法でも同じ変化は起こせると私は思います。あまり好きな言葉ではありませんが、物事の表面だけを見ていれば当然、「物事の本質」は見えてきません。埋もれているコアな部分を見つけ出すことが出来れば、姿形や形式、方法を変えてでも叶えることは出来るはずです。

 

では私が超短期間の留学で得たコアな部分とは何でしょうか?私が思うに、大体こんな事です。

  • 自分が悩んでいるのは広い世界のたった一部の狭い世界に過ぎないこと
  • 世の中には自分が知らない、もっともっと広い世界があるということ
  • そしてその場所で他者との関り合いを持つこと
  • 考えて悩むだけでなく行動を起こすことにこそ意味があること
  • 行動を起こしてみる勇気を持つ大切さ

 

私の場合はたまたまこういう経験を得ることが出来て、このような事柄を学べましたが、事例が違えばまた違った世界が見えてきます。私のようなたったひとつの事例だけでなく、もっといろいろな解決事例を見てみて、変化を起こすことになった重要なコアな部分を見つけ出してみてください。

そして、その重要なコアな部分を自分たちに照らし合わせてみて、出来る範囲で実践すれば何かしらの変化はきっと起こせると思います。このような事柄を見ることなく、ただ表面的に解決事例をなんとなく眺めていても、あまり意味はありません。

 

坂本龍馬は西郷隆盛のことを「釣り鐘に例えると、小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」と評しました。バカなら大きなバカだけど、利口ならとてつもなく利口。この言葉は子供の成長や教育にも似ているなぁと思います。

大きく成長できる機会を与えれば、その機会のぶんだけ子供は成長します。小さな機会しか与えなければ、それだけしか子供は成長しません。

お金がかかるかからないは別として、その時々で必要だと思うことは成長の機会を与えてあげてください。きっと、あなたの子供も大きく響くはずです。そしてその先には、いい未来が待っています。

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