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小中学校で不登校になりやすい子供の特徴・性格

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決断力が弱く優柔不断、協調性や集団行動が苦手で、神経質。臨機応変さがなく小回りが利かない。

不登校になりやすい子供の性格的特徴というと、こんな表現がよく用いられます。しかし、その性格自体を問題視するより、なぜこの性格が学校と相性が悪いのでしょうか。

私自身の経験も踏まえつつ、不登校になりやすい子供の性格を考えてみましょう。

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一般的に不登校になりやすい子供の性格は「神経質で色々考え込んでしまうタイプ」


学校へ行く意味・休む意味: 不登校ってなんだろう? (どう考える?ニッポンの教育問題シリーズ)」という書籍で、不登校になりやすい子供の特徴としてこのような内容が紹介されていました。

細かいことも大きなことも、いろいろと考え込んでしまう性格で、ふんぎりが悪く、器用に周りに合わせたり、周囲の空気に合わせて立ち振る舞うことが苦手。さらに色々考え込んで、些細なことも気にしてしまう。

全体主義を重んじる学校での集団行動や集団生活に疑問を感じながらも、なんとか合わせようと頑張り、でも気づいたらどんどん疲弊していっていくのが不登校の子供です。

でもこれらの特徴は何も不登校の子供だけに限ったことではありません。

小学生や中学生だけでなく、社会人でも多かれ少なかれこういうストレスを感じていたり、こういう性格的特徴を持っている人は多いものです。

 

見方を変えれば長所にもなるけど、学校生活とは相性が悪い理由

さらに、このような特徴を持っていたからと言って人間的優劣が判断される訳でもありません。さっきの性格的特徴だって、言い方を変えれば

「小さなことによく気が付く洞察力がすぐれた所があり、物事をじっくり真正面から納得いくまで自分の頭で考えて判断し、周囲の意見に流されない人」

とも言えますよね。

物は言いよう、同じ特徴を持っていても、良く表現することも出来るし、逆に悪く表現することも出来ますからね。

その性格が、学校生活という基準に照らし合わせると、上手く嵌らない。

 

自分の頭で考えるよりも、考えないで身を任せるほうが楽?

日本の学校生活の中では、「学校の中で湧き出てくる些細な疑問を自分の頭で考え、自分なりの意見を持つこと」が時として邪魔になります。

なぜなら、物事を自分の頭で考えず、周囲の要求する通りに身を任せてこなしていく方が、ずっとずっと楽だからです。ただ何も考えずに、ひたすら我慢して耐えるだけの方が良いこともあります。

社会人でも同じところがありますよね。会社で自分の意見や信念を主張して、権力に立ち向かうよりその権力に同調する方が楽だったり。

難しいことにチャレンジするより、ほどほどが一番目立たず周囲から浮かずに立ち回れる、みたいな。

 

考え込んでしまうのは、矛盾に気が付き考え込んで周囲とのズレに悩むから

 

学校生活には色々な矛盾があります。あるときはこう、でもまた別の時はこう、一つ一つ紐解いていくと先生の言っていることは矛盾することだって平気であります。

私も経験がありますが、戦争がダメ、人を殺す戦争や日本軍の暴走は人々を苦しめた歴史や原爆の恐ろしさを散々教えられますよね。はだしのゲンとか見せられてさ。

でも次の体育の時間では「右向け右、前へ倣え」などの軍事教練(のなごり)を行います。

先生「〇○の陣形に、開け!」

生徒「ヤァ!!!」みたいな。

あれ、おかしくね?と疑問を持ったら学校生活ではハイ負けです。

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(専門的な知識ではないのですが、確か元々は「前へ倣え」なんかの号令は、江戸時代の後期に西洋の近代的軍隊が日本に持ち込まれたとき、西洋で採用されていた言葉を日本語に訳して導入したのが最初です。

本来の使い方は、列を作って銃を片手に持った兵士たちに向かって、教官が「前へ倣え!右向け右!前へ進め!」と指示を出し、隊列を維持したまま進軍し、敵と対峙すれば「構えー!撃てー!!(ババババババーン!!)」と使用していたのが元々の形。

前へ倣えとか右向け右、というのは軍事教育が盛んだった明治以降のなごりです。体育祭の行進とか応援とか、もっと言うと「起立、礼、着席」なんかもそうです。余談ですが。)

 

学校生活の矛盾に気が付いて不満を言うことが自分の首を絞める結果に…

体育祭や運動会の種目なんて、軍事教練だったものが大半ですし、見た目は軍服ではなく体操服を着ているだけが違いなのに、それは許される。

笛をピッと吹くだけで生徒を犬のように動かし、自分は椅子に座って権力を誇示し、列の乱れや動きの機敏さがないことに教師は怒り狂います。

中学1年生の時の最初の体育の授業には心底驚いたものです。みんな必死の形相になって隊列移動を粛々と、張りつめた空気の中で永遠やらされるんだから!

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まさに権力に屈服させられた少年兵ですよ。あれだけ戦争を否定していたのに、その教師の姿は戦争を彷彿させる陸軍教官そのものじゃないかと…。

もちろん、日本人が礼儀正しく列に並んで順番を待つのはこういう習慣からの恩恵があるからでしょう。そういう訓練が、日本人のいいところにつながる部分も当然あるんですよ。

でも、子供の単純な疑問に対して、大人は誰もその意味を教えてくれません。その大人たちも、自分の頭で考えるより、我慢して身を任せることの方が楽だと無意識的に学んできたからでしょう。

 

あれ、おかしいな?と思っても、黙って耐えることを求めるのが大人

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なんでこんなことしなきゃいけないんだろう?とか、あれ、なんか可笑しくないか?変だな?と疑問に思ったり、なんでなんだ!こんなこと間違っているだろう!と不満に思っても誰も納得のいく答えは示してくれません。

せいぜい、「文句をいうな」とか「黙ってやれ」とか「みんな文句を言わずにやっているだろ」とかそのレベルです。

日本の学校生活ではここに疑問を呈することは、学校では一種の負けなんです。不満を言うより、身を任せるほうが学校では正解になっているので。

何が正しくて間違っているかは私にはわかりませんが、少なくとも一部の子供にとっては学校が居心地の悪い空間になってしまうのも仕方ないんじゃないかなぁと。

 

学校生活に馴染むには矛盾に立ち向かうよりスルー推奨?

学年集会で3分遅刻してきた生徒がいて「お前が3分遅刻したことで学年生徒200名×3分もの時間を無駄にしたんだぞ!」という説教を10分されても、疑問を呈してはいけないし、真正面からとらえて文句を言ってはいけないのが学校生活です。

ここで疑問を呈するより、それはそれ、と受け入れてスルーする力ないと集団生活にはなじめません。

ほどほどに真面目で効率よく過ごすのが求められるので、真面目に自分の頭でじっくり考えがちな生徒にとっては相性が非常に悪いんです。

私も経験あるんですが、自分の頭で物事を考えることが時として学校生活には邪魔になる、とはこういう意味があるんですよね。

 

学校嫌いの子供はこういう性格だから、やっぱり学校とは相性が良くない

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でも真面目な生徒ほどこういう矛盾や疑問をじっくり考えてしまいますし、真面目ゆえに不満を抑えきれません。

しかしながら、周囲の同級生は一向に気にしていないし、でも自分はこういうことが気になって仕方がない。

小さなことが気になってしまう自分は普通じゃないんだろうか、変なんだろうかと余計に考え込んでしまいます。

こういう小さいストレスと周囲とのズレが積み重なっていくのが、学校生活のストレスです。でもそんな理不尽な事ばかりやらされるのが嫌で「行きたくない」と言えば、甘えだクズだ何だって今度は自分が批判される。

で、結局学校に行くべきと分かっていても、行けない自分は普通じゃない、結局自分がダメなんだと自己否定に繋がっていきます。

 

性格的な部分は他人がどうこう言ったところで変わらない

その洞察力や真面目さを伸ばしてあげるのも一つですし、多少の融通さや臨機応変さを身につけさせるのも一つでしょう。

いずれにしても、考え方を変えさせるには本人がその必要性を強く感じない限り円滑にはいきません。

不登校の子供はその辺の修正を上手くできなかったために、学校に行けなくなったのかもしれませんね。

自分自身の体験を色々振り返ってみて思い出しましたけど、やっぱり学校と相性が良くない人は一定数います。子供も子供なりに苦労しているんですよねー。

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