中学生や高校生ならきちんと話ができるけど、うちの子はまだ小学生で小さい…。
そんな子供が学校に行きたくないと言い出したら、親はどう対処すべきか、ほとほと困ります。
当サイトでも、小学校1年生や2年生といった幼い年頃の子供に関連するキーワードで訪れる方が予想に反して多いです。
最近では小学校低学年での登校拒否や不登校も増えているのかな、という印象です。
こういった背景を踏まえ、まだ幼い小学校低学年の子供への接し方やなかなか見えてこない気持ちを探っていきたいと思います。
小学生低学年で不登校になったら、子供の気持ちを母親がどれだけ理解してあげられるかが重要
まだ小学生1年生や2年生といった幼い子供が不登校になりかけている場合、「行きたくない」の一辺倒でどう対処すべきか悩ましいのが実情です。
それに腹痛など体調不良を訴えることも多く、どこから解決の糸口をつかめばいいかも難しいと思います。
小学生低学年の子供の気持ちを100%理解することは難しいですが、出来る限りそれに近づけるために、子供の本当の気持ちを探ってみましょう。
小学低学年の不登校児は話を「聴いて」「共感して」欲しい気持ちでいっぱい
話を聞くのと聴くのは違うと言われます。
聞くというのは質問をして根掘り葉掘り聞きだすというイメージが強いですが、聴くというのは子供の心の声に耳を傾け聴き手も共感しながら本音を探るイメージです。(あくまで私個人のイメージですが)
まだ幼い子供は自分の気持ちや感情をきちんと相手に伝えられません。親は子供の話をさぎらず、否定せず、怒らないのが大前提です。
また、子供の話をまずはそのまま優しく受け入れて、そのとき子供がどう感じ、どういう気持ちだったかを聴いて共感してあげてください。
結論よりも過程を聴いてほしいのは女性も同じ?
10歳未満の子供は誰でも母親からの影響を強く受けていますから、性別にかかわらず女性的なものの考え方が主流です。
つまり、理論がどうとか、数字がどうとかといった論理性よりも感情が優先されます。
従って、物事の結論がどうだったかよりもそれに至るまでの過程を詳しく聴いてあげて一緒に共感あげた方がいいですね。
もちろん、しっかり向かい合って話し合う雰囲気ではなく何気ない日常の会話の中で行われてこそ意味があります。
子供が大切なの存在なのだ認識してくれたらベスト
子供は誰だって誰かに必要とされたい生き物です。極論を言えば、子供に限らず人間であれば誰でも同じことですね。
まだ幼い子供の場合はそれがより顕著ですから、いかに子供が親や家族にとって大事な存在かをしっかり行動や言葉で伝えてあげてください。
子供を甘やかしましょう、と言っているのではありません。
学校に行きたくないと渋っている子供は、学校という空間にある何らかの恐れに立ち向かうエネルギーが足りてないか、既に使いきっています。
そのエネルギーの源は最愛の両親からの愛情ですし、自分に対する自信です。
これらを子供になみなみと注ぐために、褒めるときは大げさに褒めてあげてください。
子供がまだ1歳や2歳のときに遊んであげたときのように、オーバーリアクション気味でね。
子供にとってのストレス源は何か?そして誰か?
子供が学校に行きたがらないのは、学校という空間の中にある何かに対する恐怖があるから、と言いました。
その恐怖は過去の体験から植え付けられたもので、何らかの苦痛を伴う嫌な経験があったのでしょう。だからこそ、それを被子に避けようとしているのです。
苦痛を避けようとするのは、ある意味生物学的な観点から言えば正常な行為と言えます。
なぜなら、自分が危険な身に遭う可能性を避けようとするのですから、それは元来人間として正しい行為なわけです。
そして、人間が社会生活を営んでいく上ではその苦痛は避けてばかりではいられませんが、それを軽減する努力はあっていいと思います。
ストレスを完全に取り除くのは難しいが、親が出来ることはやってみる
子供のストレスがもし担任の先生にあった場合、担任を変えろとは言えませんよね。
それに、同級生のからかいが原因でも、特定の子とは違うクラスにしろとも言えません。
子供は子供なりに何かにストレスを感じています。
誰の、何に、いつ、どんな風にストレスを感じていて、どんな振る舞いにどんな感情で苦しかったのか、不満を持つようになったのか。
全てのストレスを取り除けなくても、それを聴いてあげて共感するだけでも子供にとってはストレスを軽減させてあげられるはずです。