登校拒否と不登校の違い定義変遷の流れ【学校恐怖症】

学校に行けなくなった子供の状態を指す言葉に、登校拒否と不登校という2つの言葉があります。

人によってどちらの表現を使っているかは変わりますが、一応その言葉が意味しているものにはきちんとした違いがあります。

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登校拒否と不登校の言葉・定義の違い

この二つの言葉には、歴史的に学校に行けない子供の状態を解説する言葉として用いられてきた背景と違いがあります。

もともとは子供が学校に行けない状態を解説する言葉に「学校恐怖症」という言葉が最初に出現し、その次に登場したのが登校拒否、最後に登場したのが不登校です。

それぞれの言葉には意味するものが微妙に違っており、なにが原因としてその状態を引き起こしているのかを解説する、いわば原因と状態をセットで示す言葉として用いられてきました。

さらにこの二つの言葉の違いを明確にするため、歴史的背景と移り変わりに関して考えてみます。

学校恐怖症の原型は学校をサボるという行為についてのものだった

まず一番最初に用いられるようになった「学校恐怖症」という言葉には、学校をサボる子供の存在がありました。古くは20世紀初めの欧米で学校をサボる子供に関して社会的な見解が示された最初です。

しかし、徐々に意図的なサボりや怠慢でなないのに学校に行けない子供が徐々に現れ始めました。

その実態は親が子供との関係を強固にしすぎてしまい、親のいない学校へ行くことに恐怖心を抱く子供です。

その状態を指す言葉として「学校恐怖症」という考えがアメリカの学者、ジョンソンによって示されました。日本はこの時大正時代です。

登校拒否という言葉が当時意味していたもの

日本が昭和の時代に突入し、高度経済成長期に突入してくると徐々に学校恐怖症には当てはまらないケースが見られるようになりました。決して子供が学校に対して恐怖心も抱いていないケースです。

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そのため、学校恐怖症という言葉で全てを片付けるには限界が訪れたことで新たに登場したのが「登校拒否」です。

登校拒否という言葉が意味しているのは、親の教育が過干渉・過保護であったり、家庭環境が劣悪であったり、あるいは本人の成長に問題があると見なされているものです。

つまり登校拒否の背景には、本人もしくは親、そして家庭に問題が合って学校に行けなくなったとみなす意味合いが含まれているのが最大の特徴です。

※この背景を正確に理解して言葉を使っている人はおそらくかなり少ないでしょう。

誰かに学校に行っていないことを「登校拒否」という言葉を使われたからといって、こういった意味合いを含んだ差別的な意味は全くないと思いますから安心して下さい。

不登校という言葉の出現と定義付け

しかしながら、日本が昭和の終期から平成あたりの時代になって、登校拒否では説明がつかないケースが見られるようになりました。

親や家庭の環境は至って一般的、本人の成長や性格にも何ら問題がないにもかかわらず学校に行けなくなるケースが増えてきたということです。

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そのため、登校拒否という言葉の定義付では全ての説明がつかなくなったことで、新たに登場したのが不登校という言葉でした。

不登校の定義については当時の文部省が「不登校は全ての児童・生徒に起こりうるもの」として見解を示し、ここでようやく原因の根源が誰のせいでもないという考えが社会に浸透しました。

不登校の定義は「文科省の不登校の定義基準は30日」で紹介している通り、下記の内容になっています。

何らかの心理的、情緒的要因、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるため年間三十日以上の欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの。

それまでは家庭や親、子供自身に問題があって学校に行けないという考え方だったのが、時代の流れとともに心理的・情緒的、社会的要因によって引き起こされているものとして定義付けが行われました。

不登校の言葉にも限界が有るのは事実

ただ、不登校という言葉にも限界があります。その言葉が意味するものは実際はかなり広い部分を指しているため、その内容はあまりにも広すぎるからです。

例えば、いわゆる不良少年が非行や遊びに夢中になって学校に行かない状態も不登校ですし、いじめや友達関係が原因も不登校です。

さらには、学校に行くことの必要性を一切感じていない無気力型の不登校も、不登校という言葉で説明されてしまいます。

つまり、不登校という言葉をひとつとってみてもその実態は実に様々。

そのため、不登校の原因が親にあるとか、本人にあるとか、いや社会の教育制度にあるなどと議論するのは無理がありますし、その背景を正確に捉えることができていなければあまり意味があることとはいえません。

学校に行きたくても行けない子どもと、非行や無気力型の子供に不登校の原因はどう考えたって違いますから、言葉というのは非常に難しいものです。


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