不登校が急激に増加するタイミングというと、それは間違いなく中学1年生です。
小学校と中学校では環境が大きく変化しますから、その変化に適応しようと努力していった結果疲弊してしまい、ある日突然緊張の糸が切れてしまうことがあります。
自分の子供が不登校になるなんて思っても見なかったと絶望するかもしれませんが、今の時代中1で不登校になるケースは珍しくありません。また、それが悪でもありません。親の責任でもありません。
それが社会に存在するものとして親もそれを受け入れる必要があります。
この記事では不登校の魔のタイミングと言われる、中一ギャップという言葉を使ってその闇について考えてみます。
中1ギャップによる不登校
中一ギャップという言葉の意味を簡単に説明すると、小学校から中学校へと進級したのをきっかけに精神的、社会的、あるいは文化的な変化の大きさに戸惑うことと言えます。
ここで重要なのは、中一ギャップとは中学入学直後に起きるものではなく、中学1年生の1年間を通してのものを指したものであることです。
入学直後の4月やゴールデンウィーク以降、そして2学期以降においてもこの中1ギャップは存在します。
なぜ中一ギャップで不登校が起きるのか
背景部分で説明してきたように、部活動の先輩後輩や友人、異性、教師などといった様々な人間関係はもちろん、いじめ、悪質なからかい、思春期にみられる他人の目など様々なことが複雑に絡み合います。
また、最上級生から完全な下っ端となる最下級生への変化も見逃せません。
中学生として求められる姿を暗黙の了解のもとで強制され続け、それに一生懸命適応しようとはするものの、徐々に肉体的・精神的な疲労を溜め込んで、ある日それが不登校という形で表面化するケースが多く見られます。
小学校と中学校では求められるものが大きく変化しますし、またより多くのことを求められます。
今は大人になった親であっても、中学時代の3年間を思い返すとかなりきつかった思い出をお持ちの方も多いでしょう。
思春期のはじまりと中一ギャップ
小学校の時は楽しさを追求してきた好きなことも、運動部になると厳しい顧問の指導と先輩後輩関係を求められますし、クラスや同級生との他愛もない会話でもきつい冗談やからかいが見られます。
異性の目が気になり始めるデリケートな思春期なので、そのひとつひとつが大きな負担となって本人の背中にのしかかります。
何気ない友達の楽しそうな会話が聞こえてきても、自分のことを笑っているんじゃないかと心配したりするのが思春期です。
日常の他愛もない誰かの一言が心のなかに残って、それがずっしりと重くのしかかることも少なくありません。気にするなと言っても、気になるのが思春期です。
思春期は人間の成長期における誰にでもあるものなので、気にするなという方が無理があります。だって、思春期とはそういうものですから。
女子生徒には友達関係が原因の不登校もよく見られます。中で陰口や嫌がらせ、無視といった陰湿なやりとりが行われることも少なくありません。
自分そんなことはしたくないという自我の芽生えと共に、他の皆と足並みをそろえなければいけないという葛藤もよく見られます。
またその矛先が自分に向くのではないかとヒヤヒヤしながら過ごす毎日も疲弊する大きな原因です。
環境の変化、思春期の内面の変化、肉体的精神的な負担の大きさ…
このような様々な変化と共に、さらに勉強の負荷が強まるのも中学生からです。高校受験という目標に向かって塾に通って勉強したり、毎日の授業についていくために復習、宿題、そして定期テストに期末テストに実力テスト…。
皆の前で歌を1人で歌わなければいけない、リコーダーを吹かなければいけない音楽のテスト…。(あれ本当に嫌だった記憶があるなぁw)
運動部に入ったり部活動に参加していれば、ただでさえ家に変えるのが夜6時頃になります。
そこから急いで夕食を済ませて塾に行って勉強し、家に帰ってくるのが夜9時や10時ごろ。次の日の朝はもちろん早くに起きて学校へ行き、時に朝練をこなして授業を受け、部活を終えて家に帰って…。
もう息着く暇もない、時間との戦いのような日々です。これで疲弊するなという方が難しいぐらいです。文字に起こしてみると当然ですが、中学校1年生は相当に負担が大きくなる1年間なのです。
何を隠そう、私も中1ギャップで不登校になった張本人
かなりリアルに中1ギャップを説明してきましたが、実は私自身も過去に中一ギャップで不登校になった張本人です。いやあ、あの時のことを思い返すだけで本当に疲れます。
不登校は比較的真面目な生徒がなりやすいと言われています。私が真面目だったかどうかはわかりませんが、全てを上手にこなそうとしすぎる所は合ったかもしれません。
勉強も部活も両立してこなさなければいけないし、勉強の成績が落ちてくれば塾に通わなければいけない。でももっと力の抜きどころを見つけるべきだったかな、と今になって思います。
今になって思う力の抜きどころの大切さ
力の抜きどころというのは、ここはしっかりやる代わりにこっちは怒られてもいいから手を抜くという決断(いわゆる優先順位をつけた喜捨選択)も時には必要だったということです。
あるいは、もっとストレスの発散方法を見つけて、心の中の鬱憤を吐き出す場所が必要だったかもしれません。
不登校になってしまうのは、こういう全部をきちんとやらないと駄目だという意識が強い子がなりやすいです。周囲がついそれを求めてしまうからというのもあります。
別の言い方をすれば、こういったストレスの抱えながらも弱音を吐きたくない子供がなりやすいとも言えます。
もっと力を抜いて、怒られる所は怒られる、やれるところはしっかりやるという覚悟を持てる強さ・図太さがあるといいのですが、全ての子供にそれを求めてもやはり簡単には行きません。
子供に多くのことを求めすぎないで!
中一ギャップに備えたい親御さんや、あるいは中一ギャップで不登校になってしまった子供を持つ両親には、あまり多くのことを子供に求めず、元気に笑顔で過ごせることが最優先という”アタリマエ”のことを伝えたいと思います。
成績が悪くても責めたり怒ったり指摘しないで、時には笑って受け入れてあげてもいいと思います。子供がダウンしないようにしっかり休ませたり、子供のストレスが爆発しないように逃げ口を作ってあげるのも親として必要ではないかと思います。
子供が成長して思春期になるということは、同時に反抗期になるということです。自分の子供なのに扱いにくく感じるでしょうが、干渉をしすぎず放置しすぎずといった距離感が大事です。
「親」という感じは「木の上に立って見守る」と書きます。その言葉の意味を考えながら子どもと接してみてはいかがでしょうか。