学校に行きたくても行けない、教室に入れないという状態にある子供は大抵、対人不安を抱えています。
そのきっかけや経緯は様々ですが、一度不登校になって外部との関わりを持てなくなった中高生は、家族以外の人と会うのを嫌がります。
親や教師など大人からすれば「気にするな」の一言で全てを済ませてしまいがちな些細な事でも、思春期の子どもたちにとってはとても大きな悩みです。
自分たちが思春期だった頃を思い出しながら、対人不安の奥底に眠る感情を掘り起こしてみたいと思います。
親の対応や解決策に関してよりも、子供がどう悩み、どういう感情でいるか、子どもの気持ちはどんなものなのかを理解することが当記事の大きな目的です。
中高生の不登校:いじめじゃないが、対人不安のストレス…
自分が中学生だった時、高校生だった時を思い出してみると、誰にでも周囲のコミュニケーションが上手く行っていないように感じたことがあると思います。
会話の流れや、ちょっとした関心の違い、会話の内容、笑いどころの違いなど、周りは盛りがっているけれどどうも自分と周囲が全く別の存在のように感じられる時があります。
程度の大きさはありますが、こんな経験はありませんでしたか。
- 周りはみんな笑って盛り上がっていても自分は正直何が面白いのかわからない
- 一言口を挟めば場をしらけさせてしまった
- みんな笑っている時に一人真面目な顔をしているだけでは浮いてしまうので、とりあえず笑っておく
- 会話がいちいちめんどくさい
- 陰口を言っているのに本人の前では何事もなく笑顔で驚く
- 自分も影で言われているんじゃないかと不安になる
同級生やクラスメイトの関心に合わせて、自分は余り興味のないことでも話を合わせなければいけない場面もあります。
また、自分の意見を主張したり考えを言う時でも尖りがないようにタイミングを見計らいながら、言葉を選んで話すときもあるでしょう。
会話をしくじった時、誰かの反感を買ってしまった時、失敗した時、恥をかいた時のことを思い出してはまた嫌な気分になって、どんどん自分が嫌になります。
ほんと、疲れますねw
大人でも会社や同僚との付き合いで同じような悩みがあるはず
ここまで話してきた内容は、何も中高生だけでなく大人の世界でも日常的に起こりうることです。
自分の興味のないゴルフの話や、プロ野球の話、政治の話にあわせなければいけない時もあるでしょう。
また芸能人の話、下世話なうわさ話、自分は関わりたくないと思っているのに、それに混ざっていかなければいけないのはやはり苦痛です。
そんなことは大人でもあるし、どんな人でもうまく相手にあわせてやっているんだからと言いたくなりますが、思春期の子供の心のなかでは少し違う悩みがうごめいています。
自分は周りと比べて変なやつなんじゃないか?という漠然とした不安
思春期の子供は、自我の芽生えといって他人と周囲との違いにより敏感になります。
周りと足並みを揃えておかないと浮いてしまうという恐怖心と、自分の意見や感情を押し殺して我慢しなければいけない苦痛都の間で葛藤します。
また、その葛藤が続けば続くほど、自分は周りとくらべて浮いているんじゃないか、変なんじゃないかと漠然とした不安に駆られます。
そんな自分を他人はどう見ているのか、嫌われては居ないか、裏で何か噂されているんじゃないかと不安が不安を呼びどんどん消耗していきます。
学校に行けなくなったことでその不安が決定的なものに変わる
人間関係やちょっとした友人との会話でも感受性の強い子どもたちは知らず知らずのうちに消耗していっています。
何かのきっかけでプツリと糸が切れてしまい、学校に行きたくても行けなくなってしまうと、みんなが普通にできていることすら出来ない自分を責めます。
学校にいくという誰でも当たり前にできていることすら自分はできないという自己否定に繋がり、そんな自分を他人の前に晒すことすら出来なくなり、結局家族以外の人との交わりを拒絶するようになります。
ただ、そう入っても拒絶すれば孤独と寂しさが襲います。
そのため、ネットで出来るオンラインゲームにハマって引きこもりを加速させる場合があるので、それだけは注意が必要です。
〔参考記事〕→ 不登校からネトゲ廃人に
他人からどう見られているかが気になって仕方なくなる
自分に対して自信を失った子供は、人から自分がどう思われているのかが気になって仕方ありません。
口では「他人からどう思われようが関係ない」と言ってもそれは強がりに過ぎません。
もしそれが本当なら、誰かれ構わず自分だけの世界に閉じこもってでも学校に行きますし、そもそもそんな図太さがあれば不登校にはなっていないからです。
不登校になる子供は一般的に感受性が人よりも強いとされています。
ちょっとした一言、動作でも感じる所が人よりも大きいですし、自分の意志に反して強制される苦痛なことに、人並み以上の苦しさを感じます。
不登校経験者のその後と将来についてはなんとも言えませんが、私の場合は今でもやっぱり自分に自信がないですし、自分のことを好きとは言えません。
どこの職場でも同僚のうわさ話や陰口はつきものですが、そこに交わらなければいけないのが何よりの苦痛です。
お前はどう思っているんだと強要されるのは未だに苦痛ですし、それで病みそうになったことすらあります。
対人不安が全ての原因ではないが、子どもを消耗させる大きな要因の一つに違いない
対人不安は結果として起こるもので、連続的な日常の積み重ねによって起こるものです。
対人不安は全世代において、不登校になる子供に何らかの形で共通する悩みです。
不登校のきっかけとか決定的な原因と言えるかどうかは、その子供の背景によりますが、いずれにしてもこういう消耗の連続の果てに不登校を引き起こしているという事は、親は理解しておいたほうがいいでしょう。