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不登校の不安と偏見:悪いことではないのかは本人次第だぞ

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本人もその親も、不登校の状態をお先真っ暗、将来が不安で仕方がないと思います。

周囲の偏見や不登校に対する悪いイメージに縛られて、学校に行っていないだけで罪人のような扱いを受けることに苦しんでおられると思います。

経験者の立場で言えることは、不登校の先に見える世界は決して悪いことばかりではない、ということです。

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不登校の不安と偏見…不登校は悪いことではない?

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不登校をしていた経験が後の人生に好影響を及ぼす例だって、山のようにあります。そして、不登校だったからといって社会の競争を勝ち抜けないかというと、そうでもありません。

不登校だった人が不登校じゃなかった人を出し抜いていく例だって山のようにあります。

確かに不登校の状態である今この時だけを切り取ると、偏見や悪いイメージが先行してしまい、悪いことのように思えるかもしれません。

しかし、もっともっと少し長いスパンで不登校を眺めてみると、全く違う景色が広がっています。

 

学生時代が人生で一番つらい時期だったという結果論

特に不登校になっているのが男の子の場合、「学校にも行かず、そんなことでは社会で通用しない」と将来を案じる親御さんも多いと思います。

ただ、不登校経験者の声の中には「学校中心の世界より社会のほうがよっぽど暖かい」というもの。

不登校経験の有無に関わらず、学生時代よりも大人になってからの方が楽しいという人は結構多いんじゃないでしょうか。

私の場合、常識やルールでがんじがらめに縛られていた学生時代の方が自分にとってよっぽど苦しかったです。ある程度の自由と自分の意志で決められる大学以降の生活のほうがずっとずっと楽しい。

 

偏見に打ち勝つには大人になってからの人生を思う存分楽しむことだ!

本人の性格上、学校と相性が良くない人だっています。私がそうだったように、小中学生時代、学生時代が人生最大の暗黒期だったということだって十分ありえますからね。

不登校にはどうしても悪いイメージが先行していて、親の教育のせいだとか、本人の問題とか色々な偏見があります。私も、似たような罵倒戯言を言われたことがあります。

当時は思い出したくもない嫌な事は沢山言われましたが、大人になってから今の生活に満足していて、社会的自立を果たしているのであれば、何の問題もありませんよ。

 

偏見を言う人が社会で勝ち残れるかというと、案外そうでもない

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「あのなぁ、社会はお前が思っている以上に厳しいんだぞ?」

「お前、ほんと甘えてるよな」

「ハァ、お前の親って本当に甘いからな」

「お前の親って過保護だもんなー」

当時散々言ってきた人もいます。これ、実際に過去に言われた言葉の羅列です。あれから10年以上経った今、私より収入が上の人は誰も居ませんw(もちろん、収入だけが全てではないですけどねw)

結局ね、不登校の偏見なんてそんなもんなんですよ。どんな境遇であれ、どんな経歴であれ、3年後、5年後、10年後の世界でどうなっているかはわかりません。

今できなくても、今上手く行っていなくても、未来の世界で自分がどうなっているかです。今完璧である必要なんて一切ありません。これから頑張って出来るようになればいいんだから。

何でもうまくこなせる人は確かに立派で憧れるけど、そういう人は他人を無闇に批判しないんですよ。なんでか知らないけど、中途半端なヤツほど他人を批判してくるんです。そう、私のようにねw

こんな周囲のどうでもいい戯言や偏見に振り回されるより、自分が自立して幸せをつかむためにひたむきに努力する方がよっぽどいいですよ。

 

不登校が悪いことじゃないと思いたいなら、それを証明するしかない

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不登校が悪いことか、悪いことじゃないのかは、結局その人の将来次第です。

不登校から引きこもりが長引いてしまえばそういうことになるし、不登校の経験があってもその後立派に自立していれば、決して悪いことにはなりません。

今苦しくても、今どれだけ八方塞がりでも、もがいていいるうちに突破口が必ず見つかります。

学校がダメなら、学校以外の場所で頑張ればいい。頑張るエネルギーが湧いてこないのなら、今は充分に休息すればいい。

でも、いつかはどこかで頑張らないといけません。

「頑張る」って聞くと、今は嫌なイメージかもしれませんけど、いずれ頑張ることが「楽しい」と思えてくるようになります。

 

おもしろき こともなき世を おもしろく!

不登校経験のある私が感じることは「不登校時代は苦しくて仕方なかったけど、今思うとこの世の中は当時思ったほど悪いものじゃない」ってことです。

当時は何の希望もなく絶望感で一杯でしたし、今その境遇にある人も同じような状態かもしれません。

でも、あれから10年以上の時間が経過して痛感したことは、この世の中は当時思っていたよりずっとずっと面白いってことです。世の中、捨てたもんじゃないないなぁ、と。

開けない夜はありませんし、止まない雨はありません。今どんなに辛くても、不安でも、偏見に晒されていても、希望を捨てないで欲しいなと思います。

 

不登校は悪いことではない?経験が後の人生に影響することも

学校に行っていない間にやっていたことが、後の人生選択に影響した話もたくさんあります。

学校へ行けない僕と9人の先生」や「学校に行かなくなった日」にあったように、不登校時代に絵を書き続けていたら、それが様々な出会いを呼び込んで社会に受け入れられ、プロの漫画家になったとか。

あるいは、不登校中にやることがなくて、自営業の父親の仕事を手伝っていた経験が後の職業選択に影響したとか、趣味を追求してネットで情報発信していたら海外の人の目に止まって専門学校に進んだ、とか。

漫画家は確かに珍しいかもしれませんが、それ以外の例はよくあることです。

大なり小なり不登校時代に経験したこと(あるいはその期間中の時間)はその後に活かされてきますし、その期間中の経験全てが無駄になる訳じゃありません。

つらい経験も、その人の身となり肉となり、経験というかけがえのない人生の一部になっていきます。

 

趣味を追求しているうちに世界が広がる

うちの子はゲームや漫画ばかり読んで勉強なんて全くしない、という不満をお抱えの親御さんもいるでしょう。ゲームをやり込んでいるうちに、その内容に興味を持っていくことも珍しくありません。

戦国時代や江戸幕末を舞台にしたゲームから歴史に興味と持つようになったりしますし、ゲームや漫画といえど社会の一部であることに違いありません。

趣味を追求していくうちに、八方ふさがりだった不登校状態から意欲を取り戻し、社会と関わろうとしていくうちに社会復帰していった例は山のようにあります。

私も不登校時代に海外への他に留学をした経験が非常に印象深かったですし、当時の友人とは10年以上経過した今でも付き合いがあります。

その友人に会うために一人で新幹線に乗り継いで行ったこともありますし、それはそれで学ぶもの、得るものも多かったと言えます。

 

不登校、必ずしも悪いコトだとは言い切れない

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色んな本で体験記や不登校の事例を読んできましたが、こういう結果的にいい影響を及ぼしたことってほんとうに多いです。

不登校は当時は確かに辛いししんどいですよ。でも時間が経過していくうちにその苦しみは緩和されていって、当時苦しんだ分を取り返す我のごとく、その後の人生に楽しみを見出していく人も多いです。

経験者として伝えたいことが2つあります。

それは「不登校の経験そのものに善悪はない」ということ。そして「不登校の経験はたしかに辛く重苦しいものだが、その経験をその後の人生にどう活かすかの方が大事」だということです。

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